竹中半兵衛という武将

戦国の天才軍師・竹中半兵衛 36歳の若き生涯と後世に語り継がれる魅力
はじめに~今孔明と呼ばれた名軍師~
みなさん、「竹中半兵衛(たけなかはんべえ)」という戦国武将をご存知ですか?
歴史ゲームや戦国映画で名前を聞いたことがある方もいるかもしれませんね。
この記事では、わずか36歳で亡くなりながらも「今孔明(いまこうめい)」と称され、現代まで語り継がれる天才軍師・竹中半兵衛の生涯を、初心者にもわかりやすく解説します。
竹中半兵衛の生まれと家系 美濃の名門武士の血筋
竹中半兵衛は、天文13年(1544年)9月11日、美濃国大御堂(岐阜県揖斐郡大野町公郷)で生まれました。本名は竹中重治(しげはる)。「半兵衛」は通称で、こちらの名で広く知られています。
家系と出自
竹中家は長く続く武家の名門で、清和源氏土岐氏の支流・岩手氏の流れを汲むとされています。
父は竹中重元、母は杉山久左衛門の娘と伝わります。
兄弟と親族
弟は竹中久作(重矩)。
また従弟には、後に豊後府内藩(大分県)の初代藩主となる竹中重利もいます。
文武両道の若き天才 幼少期から開花した才能
半兵衛は幼少期から非常に優秀でした。
体は弱かったといいますが、知力と武芸は抜きん出ていました。
中国の兵法書を好み、三国志の諸葛孔明に心酔。『孫子』などの兵法書を読みふけっていたと言われます。
14歳の頃には戦場デビューを果たし、武芸も剣術皆伝の腕前でした。

仕えた主君 斎藤家から羽柴秀吉へ
斎藤家への仕官と稲葉山城乗っ取り
最初に仕えたのは斎藤道三の孫・斎藤龍興。
しかし龍興は暗愚の当主として知られ、半兵衛の進言を無視し続けました。
そこで半兵衛は永禄7年(1564年)、わずか16〜17名の手勢で稲葉山城(後の岐阜城)を一夜にして占拠するという離れ業をやってのけます。
これは戦国史でも屈指の奇計として有名です。
秀吉との出会い 三顧の礼
その後、織田信長が美濃を平定すると、木下藤吉郎(のちの羽柴秀吉)が半兵衛をスカウト。
何度も通って口説く様子が「三顧の礼」に重ねられます。
永禄10年(1567年)、半兵衛は秀吉の家臣となりました。
ここで重要なのは、半兵衛は信長の直臣ではなく秀吉の与力となった点です。
彼は秀吉の器量を見抜いていたとされます
参加した主な戦いと実績
半兵衛は秀吉軍の軍師として、数々の戦で活躍しました。
● 観音寺城の戦い(1568年)
六角氏との戦いで箕作城を攻略し、秀吉軍を勝利に導きます。
● 姉川の戦い(1570年)
織田・徳川VS浅井・朝倉の戦いに参加。
● 長篠の戦い(1575年)
織田・徳川連合軍が武田勝頼を破った有名な戦でも軍略を支えます。
● 中国攻め 三木城包囲戦(1578〜)
三木城の兵糧攻め「三木の干し殺し」で冷静な軍略を発揮。
しかしこの最中に病が悪化し、戦地で倒れた。
妻・子・家族 側室を持たなかった武将
● 正室・得月院
斎藤家重臣・安藤守就の次女。
半兵衛は側室を一切持たず正室一筋だったと言われます。これは戦国武将として異例で、彼の誠実さを示しています。
● 子:竹中重門
のちに徳川家の旗本として6000石を与えられ、家は江戸時代を通じて続きました。
名言と逸話 義を貫いた生き方
● 「武士は名こそ惜しけれ」
最も有名な言葉。
武士の名誉と義こそが命より大切だという意味で、黒田官兵衛に語ったとされます。
● 「陣中で死ぬこそ武士の本望」
秀吉に療養を勧められても拒否し、最期まで戦地に残りました。
● 黒田長政(松寿丸)を救った話
官兵衛が村重に囚われた際、信長は官兵衛の息子・松寿丸の殺害を命じました。
しかし半兵衛は「官兵衛は裏切らない」と信じ、松寿丸を密かに保護。
これは創作の可能性もありますが、二人の厚い信頼を象徴する逸話です。
このはなしはとても感動ました。
尊敬した武将と読んだ書物
半兵衛は諸葛孔明を深く尊敬していました。
また『孫子』『史記』など多くの古典兵法書を読み込み、実戦に応用していたとされています。
両兵衛 黒田官兵衛との関係
黒田官兵衛は半兵衛と並び称される天才軍師。
「両兵衛(りょうひょうえ)」として語り継がれます。
性格は真逆で、
· 半兵衛:無欲で控えめ
· 官兵衛:野心的で積極的
· と伝えられていますが、互いに認め合う盟友でした。
辞世の句と最期
辞世の句は明確には残っていませんが、
「信長公にはご用心を」と秀吉に進言したといいます。
天正7年(1579年)、播磨三木城攻囲中に肺結核で死去。
享年36。戦地での最期でした。
なぜ現代に語り継がれるのか?
1. 無欲で誠実な人柄
2. 若くして発揮した天才的知略
3. 稲葉山城占拠という伝説的エピソード
4. 誠実な家族愛(側室を持たなかった)
5. 黒田官兵衛との「両兵衛」ブランド
6. 36歳で逝ったという“未完の天才性”
おわりに 現代に生きる半兵衛の教え
竹中半兵衛の生き方から学べるのは、
「義」「誠実」「学び続ける姿勢」です。
出世や名誉よりも、自分の信じる道を貫いた彼の生き様は、
現代にも通じる普遍的な価値があります。
岐阜県や兵庫県には半兵衛ゆかりの地が残っています。
ぜひ訪れて、若き天才軍師の足跡を感じてみてください。

